第5回:シビックプライドの育て方 ――「地域愛着」と「シビックプライド」の違い
愛着は素晴らしいものであるとともに厄介です。変化を拒む副作用すらある情緒的な郷土愛と、参画意識を伴うシビックプライドは明確に切り離して考えるべきではないでしょうか。出番を作りましょう。お客様扱いするのではなく、IKEAの家具のように自ら汗をかいてカメラで地域の価値を編集する。その余白が誇りの種を蒔くのだと思います。
塚崎秀雄
2026.03.27
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【現在地:幸せの循環モデル】
今回から第2部【誇り】に入ります。外部視点によって「発見」された価値を、今度は住民の方々自身が認識し、「私たちの町はなかなか良いものだ」という誇りに変えていくフェーズです。
【発見】→ 【誇り】 →【共有】→【経済】→【還元】 ↻
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【前回の振り返り】
第1部では、見慣れてしまった地域の価値を、「カメラ」と「観光のまなざし」によって再定義する方法について考えました。しかし、外からいくら「素晴らしい」と言われても、中にいる住民の方々が腹落ちしていなければ、活動は持続しません。今回は、住民の心を動かす「誇り」について、少し掘り下げてみたいと思います。
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「郷土愛」があれば、町は安泰なのでしょうか
「私たちは、この町を愛しています」
地域活性化のワークショップなどを開くと、この言葉を聞くことが多くあります。もちろん、そうした故郷への温かい感情、いわゆる「郷土愛」は尊いものです。しかし、その熱量だけで人口減少という冷徹な数字を押し返せるかといえば、話はそう単純ではありません。
※本連載は無料ですが、第二回からはメールでの登録が必要となります。また、メール登録をいただいた方には東京カメラ部から地方創生に関連するメールが送信されることがあります。