第5回:シビックプライドの育て方 ――「地域愛着」と「シビックプライド」の違い
【現在地:幸せの循環モデル】
今回から第2部【誇り】に入ります。外部視点によって「発見」された価値を、今度は住民の方々自身が認識し、「私たちの町はなかなか良いものだ」という誇りに変えていくフェーズです。
【発見】→ 【誇り】 →【共有】→【経済】→【還元】 ↻
【前回の振り返り】
第1部では、見慣れてしまった地域の価値を、「カメラ」と「観光のまなざし」によって再定義する方法について考えました。しかし、外からいくら「素晴らしい」と言われても、中にいる住民の方々が腹落ちしていなければ、活動は持続しません。今回は、住民の心を動かす「誇り」について、少し掘り下げてみたいと思います。
「郷土愛」があれば、町は安泰なのでしょうか
「私たちは、この町を愛しています」
地域活性化のワークショップなどを開くと、この言葉を聞くことが多くあります。もちろん、そうした故郷への温かい感情、いわゆる「郷土愛」は尊いものです。しかし、その熱量だけで人口減少という冷徹な数字を押し返せるかといえば、話はそう単純ではありません。
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実際のところ、若年層の移動を決める最大の要因は、雇用や教育といった「機会構造」にあるからです。どれほど愛着があっても、そこで食べていけなければ、やりたい仕事がなければ転出は避けられません。感情と経済合理性は、残酷なほどに別物です。
これは単なる印象論ではありません。
内閣府の政策統括官による『地域における活力ある経済社会の構築に関する特別調査』(2025年) でも、興味深いデータが示されています。「若者や女性に選ばれる(転入超過の)自治体」において際立って高いのは、「現在住んでいる地域への愛着」であり、「出身地への愛着」には自治体の勝ち負けによる有意な差が見られなかったのです。つまり、どの町出身であれ、故郷を想う気持ちに大差はない。勝負を分けているのは、過去の思い出ではなく、今の生活のしやすさや挑戦の機会と結びついた「現在進行形の愛着」をいかに提供できるか、という点にあると言えるのではないでしょうか。
また、郷土愛には「副作用」もあります。
愛着は本来、地域を守り育てるエネルギー源になりますが、ひとたび変化が起きようとすると、それが「脅威」として認識されることがあります。結果として、開発や新しい制度に対する激しい拒絶反応――場所を現状のまま保存しようとする「守りの行動」へと変質してしまうのです。
では、「愛」は不要なのでしょうか?
わたしたちはそうは思いません。問題は、私たちは「郷土愛」と「シビックプライド」という、似て非なる二つの感情を混同していることだと考えています。
「地域愛着」と「シビックプライド」の違い
都市デザインや社会学の分野では、この二つを別のものとして、あるいは「階層が違うもの」として整理することがあります。
地域愛着(郷土愛): 「生まれ育った」「思い出がある」といった情緒に根ざす愛着です。これは地域を大切に思う土台になります。ただし、開発や制度変更が「らしさの喪失」として知覚されるなど、“脅威”の条件が揃うと、愛着の強い人ほど保全・反対の行動に向かう場合があります。
シビックプライド(都市に対する誇り): こちらは単なる愛着にとどまらず、「自分はこの地域の一員で、より良くすることに関わっている」という参画意識や自負(当事者性)を伴う誇りです。
つまり、地域愛着を否定するのではなく、愛着を土台にして、そこに「自分も関わっている」という“参画”が上乗せされた状態。それがシビックプライド、と捉えるのが自然なのかもしれません。実際、都市計画研究などの分野でも、シビックプライドは愛着だけでなく参画意識やアイデンティティ等を含む多面的な概念として整理されています。
地域を変えるために必要なのは、情緒的な「愛着」を持ちつつ、そこにとどまらず、それを自らの行動で価値に変えていく「シビックプライド」への進化させることではないでしょうか。
「IKEA効果」で当事者意識を作る
では、どうすれば愛着は「シビックプライド・誇り」へと進化するのでしょうか。「この町を誇りに思いましょう」とスローガンを掲げても、なかなか誇りは生まれません。
ヒントは、消費者心理学(消費者行動研究。行動経済学の文脈でも引用される)で知られる「IKEA効果」にあるかもしれません。 ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ノートンらの研究によれば、人は自分が労力をかけて作ったものに対して、客観的な価値以上に「価値を高く見積もる」、あるいは「所有感を持つ」傾向があるそうです。完成品を買うよりも、自分で苦労して組み立てた家具の方に、多少不格好でも愛着を感じる心理です。

東京カメラ部撮影・鳥取県
ただし、ノートンらの研究は、労力が価値を高めるのは「成功裏に完成した」ときであり、完成しなかったり、あるいは作ってすぐに壊したりする場合には、その効果が弱まる(あるいは消える)ことも示しています。 つまり、ただ苦労すればいいわけではなく、「自分の手で形にした」という達成感が重要なのです。
わたしたちは、これは地域づくりにも当てはまると考えています。 行政やプロが作った「完璧な観光ポスター」を見せられても、住民は「へぇ、きれいですね」と他人事(客)のままかもしれません。しかし、住民自身がカメラを持ち、汗をかいてスポットを探し、自分で撮影して発信したならどうでしょうか。その風景は「ただの景色」から「私が発見した景色(作品)」に変わるはずです。
自由意志でプロセスに参加し、汗をかくこと。その「投資(労力)」こそが、対象を「自分ごと」に変えるスイッチになるのではないでしょうか。 もちろん、ここで重要なのは「余白(自由度)」です。行政が「ここをこう撮ってください」とマニュアル通りに動かそうとすれば、それは「やらされ仕事」になり、IKEA効果は期待できません。「撮る場所も、切り取り方も自由」という創造性の余白があって初めて、当事者意識が生まれるのだと思います。
カメラは「参加」のためのチケット
ここで再び、第3回で提案した「カメラ」の役割が浮かび上がってきます。カメラで撮影をすることは、単なる記録行為ではありません。地域の価値を編集(選択・切り取り)するという、「都市づくりへの参画行為」と捉えることができます。
「私たちの町には何もない」と嘆いていた方が、カメラを持って歩き始めると、やがてこうおっしゃることがあります。「この時間の光はきれいなんですね」「あそこの看板、よく見ると味がありますね」。 これは、与えられた環境を受動的に受け入れる「居住者」から、価値を能動的に定義する「編集者(プレイヤー)」へと、立場がシフトした瞬間と言えるかもしれません。このシフトが起きたとき、初めて「シビックプライド」の種が芽吹くのではないでしょうか。

東京カメラ部撮影:北海道別海町
行政やリーダーの皆様にご提案したいのは、このケースにおいて「住民にお客様扱いのおもてなしをする必要はないかもしれない」ということです。むしろ、彼らにカメラを使った「宝探し係」という役割(出番)を与えてみてはいかがでしょうか。人は、何かをしてもらうより、何かの役に立ったときの方が、その場所を好きになれる傾向がある生き物だからです。
次回は、そうして発見された断片的な「点」を、どのように結んで魅力的な「線」にするか。「ただの道」を「歴史の舞台」に変える、文脈の編集(ストーリーテリング)についてお話しできればと思います。
【今週のミニ処方箋】
「『ここが好き』を1つだけ、他人に自慢してみる」 家族や友人、あるいはSNSのフォロワーに向けて、あなたの住む町の「個人的に好きな場所(有名観光地でなくてOK)」を1つだけ紹介してみてはいかがでしょうか。「あそこのパン屋の香りがいい」「夕暮れのこの坂道が好き」。誰かに推奨(おすすめ)するという行為は、自分の責任でその価値を保証する行為です。紹介した瞬間、その場所はあなたにとって「ただの場所」から「私の場所」に少しだけ近づくはずです。
【次回予告】
第6回は「文脈の編集(エディティング) ――『ただの道』を『歴史の舞台』に変えるストーリーテリング」。物理的な開発をしなくても、言葉と文脈を変えるだけで価値は見違えるかもしれません。その手法について考えます。
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