第1回:「何もない」を「宝の山」に変える
【現在地:幸せの循環モデル】
本連載では、以下のサイクルを地域に構築することをゴールとしています。今回は、その全体像と、最初の入口である【発見】についてお話しします。 【発見】→【誇り】→【共有】→【経済】→【還元】 ↻
【前回の振り返り】
プロローグ(第0回)では、地域を覆う「何もない」という諦めが、物理的な欠乏ではなく心理的な「馴化(慣れ)」によるものであることを紹介しました。今回は、その「見えない霧」を晴らし、地域に眠る資産を掘り起こすための全体地図を紹介します。
「何もない」と言わせてしまう脳の仕組み
「うちの町には何もないよ」 地方創生の現場において、私たちが住民の方々から最も頻繁に伺う言葉の一つです。有名な観光地も、派手なテーマパークもない。あるのは山と田んぼと、古い家並み、シャッターが目立つ商店街だけ。そう仰る気持ちは痛いほど分かります。
しかし、本当に「価値」がないのでしょうか。私たちは、多くの地域で「何もない」と言われていた場所が、世界中から人を惹きつける「宝の山」に変わる瞬間を何度も目撃してきました。そこに新しい施設が建ったわけではありません。変わったのは、そこにあるものを捉える「視点」だけです。
なぜ、住民には価値が見えなくなってしまうのか。その正体は、生物学的な脳のメカニズムである「馴化(じゅんか)」にあります。心理学において「非連合学習」の一種とされるこの機能は、安全で繰り返される刺激に対して、脳が反応を鈍らせる(無視する)適応反応です。毎日見る夕日、通勤路の古い看板、いつもの食卓。これらは「生存に影響しない背景」として処理され、意識のフィルターに引っかからなくなります。 つまり、価値がないのではなく、「見えなくなっている」のです。
地域を変える「幸せの循環モデル」
この「見えない霧」を晴らし、持続可能な地域を作るために、本連載では以下の5段階のサイクルを提案します。
1. 発見:外部の視点(カメラ)を取り入れ、住民自身が「馴化」を解除し、足元の宝物に気づく。
2. 誇り:「私たちの町は素晴らしい」という自信を持ち、まずは住民が幸福になる(住んでよし)。
3. 共有:発見した価値を、適切な情報(マナーや撮影場所)と共に発信し、共感の輪を広げる。
4. 経済:ただ見てもらうだけでなく、来訪者が対価を払う「体験」や「仕組み」を作り、地域にお金を落とす。
5. 還元:得られた収益を、風景の保全や文化の継承に再投資し、次世代へつなぐ。
多くの地域活性化策が苦戦するのは、この順序を飛ばして、いきなり「4.経済(観光客誘致)」から始めてしまうからだと私たちは考えています。
カナダ・ヨーク大学の観光社会学者ジョージ・ドクシーが提唱した「イリデックス(苛立ち指数)」や「社会的交換理論」が示すように、住民自身が観光による便益や誇り(2の要素)を感じていない状態で観光客が増えると、住民感情は「無関心」から「苛立ち」「敵意」へと容易に変化する可能性が高まります。 また、誇りなき経済活動は、安売り競争に巻き込まれ、地域を疲弊させるリスクも伴います。まずは「1.発見」から始め、住民の心を「誇り」で満たすこと。それが、遠回りのようで最も確実な道です。
事例分析:岐阜城と月が生んだ「視点の転換」
では、「視点の転換」によって「発見」がなされるとはどういうことか。象徴的な事例として、岐阜市の「岐阜城」のケースを、本連載の統一フォーマットで分析してみましょう。
• 状況:岐阜城は金華山の山頂にあり、月は空にあります。どちらも何百年も前からそこに存在し、住民にとっては「当たり前の風景」でした。それぞれ単体では美しいですし、岐阜城は観光名所ではあったものの、現在ほど強烈なコンテンツとはそれほど認識されていませんでした。
• 介入:岐阜県在住の写真家、小林淳さんが「視点」を変えました。城の近くから撮るのではなく、数キロ離れた場所から超望遠レンズを使って撮影したのです。これは、極端に遠くから「城を小さく」捉え、距離に関わらずサイズがほぼ一定である月との相対的な大きさの差を縮める「遠近法(撮影距離による見かけの圧縮)」の効果を活用したものです。これにより、城の背後に、ありえないほど巨大な満月が迫る瞬間を切り取りました。
• 変化:この写真はSNSで爆発的に拡散され、「まるで合成写真だ」「日本にこんな場所があったのか」とSNSを中心に驚嘆の声が上がりました。結果として、岐阜城は「月と城の絶景」として再定義され、岐阜市の観光ポスターに採用されるなど、地域の代表的な観光資源としての地位を確立しました。ハードウェア(城)には一切手を加えず、ソフトウェア(視点)を変えただけで、価値が劇的に向上したのです。
• 副作用・摩擦:一方で、こうした「発見」にはリスクも伴います。特定の撮影ポイント(農道や私有地など)に多くの人が殺到することで、近隣の交通渋滞や立ち入りといった「観光公害」が発生する懸念があるからです。岐阜城の場合は、幸いにも撮影可能なポイントが市内に分散しており、季節によっても場所が変わるため一点集中は起きにくい構造でしたが、それでも行政や関係者によるマナー啓発や安全な場所の案内(マネジメント)は不可欠です。実際、岐阜市では専用サイトを公開し、撮影スポットの分散化とマナー情報の周知を図っています。「発見」は人を動かします。だからこそ、発見された後の「受け入れ環境の整備」をセットで考える必要があります。
• 汎用化:この事例は、どの地域でも再現可能です。必要なのは巨額の予算ではありません。「離れて見てみる」「時間を変えてみる」「組み合わせてみる」という視点の変化です。見慣れた風景の中に、まだ誰も気づいていない「アングル」が隠れていないか。それを探すことこそが、地方創生の第一歩となります。
カメラは「発見装置」でもある
「でも、そんなセンスのある写真家はうちにはいない」と思われるかもしれません。しかし、今は「一億総カメラマン時代」です。皆様のポケットに入っているスマートフォンも、立派な「発見装置」です。 カメラを持って歩くだけで、脳は「撮影モード」に切り替わり、漫然と見ていた風景から「何か」を探そうとします。その能動的な姿勢こそが、「馴化」を打ち破る有効な武器です。まずはリーダーである皆様自身が、あるいは地域の子供たちが、カメラというスコープを通して町を眺め直してみる。そこから全てが始まります。
次回は、私たちの最大の敵であり、生物として逃れられない「馴化」という現象について、もう少し深く、科学的に掘り下げます。敵の正体を知ることで、より効果的な対策が見えてくるはずです。
【今週のミニ処方箋】
明日、通勤や買い物の道すがら、スマホのカメラを起動して、いつもは見上げない「空の色」や「足元の植物」を一枚だけ撮ってみてください。「撮ろう」と意識して画面(フレーム)を通した瞬間、いつもの景色が少しだけ鮮やかに、あるいは違って見えるはずです。その感覚こそが、地域を変える第一歩です。
【次回予告】
第2回は「脳のメカニズム『馴化(じゅんか)』の恐怖」。なぜ私たちは、毎日見ている絶景に感動できなくなるのか。生物学的な適応としての「飽き」の正体と、それが観光政策に与える深刻な影響について考察します。
※本連載は無料ですが、第二回からはメールでの登録が必要となります。また、メール登録をいただいた方には東京カメラ部から地方創生に関連するメールが送信されることがあります。
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