第8回:「よそ者」の効用 ――シュンペーターのイノベーション論と外部視点
【現在地:幸せの循環モデル】
第2部【誇り】の最終回です。前回は、住民同士の絆を深める「サードプレイス」について話しました。今回は、その結束が排他性に陥らないよう、外部の風を取り入れてイノベーションを起こす「よそ者」の重要性について解説します。
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【前回の振り返り】
第7回では、撮影スポットが住民の「サードプレイス(居場所)」となり、孤独対策やコミュニティ形成に役立つことを論じました。しかし、住民だけのコミュニティは、時に「変化を拒む壁」にもなり得ます。
なぜ仲の良い地域が衰退してしまうのか
「うちの町は結束力が自慢なんです」と、地方の撮影現場で誇らしげに語る方々に何度も出会ってきました。その言葉通り、互いの顔が見える関係性は、いざという時の助け合いを支える強固なインフラです。
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地方の撮影現場を回っていると、地元の方からそんな言葉を誇らしげに聞かされることがよくあります。政治学者ロバート・D・パットナム(ハーバード大学)が広く普及させたソーシャル・キャピタル論の区分を借りれば、これは「結束型(ボンディング)」のつながりが極めて強い状態です。
日々の安心感や、いざという時の相互扶助の基盤としてこの内輪の絆は欠かせないものでしょう。ただ、同じ価値観を共有するメンバーだけで関係の密度を高めすぎると、新しいアイデアや異質な存在を無意識のうちに弾き出してしまう。いわゆるムラ社会的な閉塞感を生み出す負の側面も持ち合わせてはいないでしょうか。全員が同じ方向を向いているからこそ、第2回で触れた「馴化(慣れ)」が加速しやすくなります。
ここで、経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの言葉を借りてみましょう。彼は『経済発展の理論』において、発展の本質を「新結合」という概念で説明しました。すでにある資源や技術が、これまでとは全く異なる文脈で結びついた瞬間にこそ、新しい価値が生まれるという考え方です。
地域の皆さんは、その土地にしかない自然や文化といった、極めて良質な「素材」をすでに持っています。ただ、毎日その風景の中で暮らしていると、どうしてもそれらが当たり前のものとして風景に同化し、新しい使い道が見えなくなってしまいます。
そこに現れるのが、いい意味で空気を読まない「よそ者」たちです。彼らは地域のしがらみこそ知りませんが、知らないからこそ「その素材、こういう風に使ったらすごく面白いんじゃない?」という、全く別の文脈(レシピ)を持っている可能性があるのです。
事例分析:東川町が引き起こした「新結合」
北海道上川郡東川町は、1985年6月1日に「写真の町」を宣言しました。人口は1994年ごろを境に長期的な増加基調へ転じ、2018年8月時点の町史編さん調査では、全町民8366人のうち過去20年以内の転入者が4738人、56.6%を占めていました。
この極めて特異な人口動態は、単に美しい大雪山の風景を写真に撮って発信しただけで起きるものではありません。東京カメラ部が近年開催した写真展のトークイベントで、東川町の菊地伸町長や関係者のお話を伺う機会があったのですが、そこで見えてきたのは「来てもいい町」ではなく「来た人に出番がある町」という、徹底したプレイヤー視点の構造でした。
出番の連鎖です。 たとえば、福岡から東川町へ移住してきた佐藤氏は、地域おこし協力隊として着任後まもなく、会場で配布されたお米の限定パッケージをデザインするなど、実績に直結する仕事を担っていました。行政が用意した地域おこし協力隊などの枠組みを通じて、何十人もの移住者がそれぞれ自分の技能(新しい文脈)を持ち込み、地域の特産品や課題(既存の素材)と掛け合わせる。よそ者をただのお客さんとして扱うのではなく、プレイヤーとして舞台に上げる装置が最初から用意されているわけです。これこそ、まさにシュンペーターが思い描いた新結合の実践例だと思いませんか?
さらに興味深いのは、この新結合が連鎖していく点です。同町のグルメマップに掲載されている店舗数は、この10年で約30店から64店へと倍増したといいます。菊池町長ですら「知らないうちに増えていたりして私も追いつけていないくらいです。」というほどの勢いです。
東京などの名店で腕を磨いた料理人が移住して店を開き、そうして分厚くなった「生活文化の層」が、また新たな移住者を強烈に惹きつける。移住者が移住者を呼ぶ、自律的な循環ができあがっているのです。
菊地町長はこうした状況について、移住者が増えてほしいと願いつつも、その中心は常に「町民の生活を豊かにし、幸せな町にすること」だったと語っています。文化や資源を大切にしながら、その時々で暮らしやすい町を作ってきた。その積み上げの成果として、結果的に人口の増加が続いているのだと。写真文化の推進というソフト面だけでなく、住宅や起業の支援といった泥臭いハード面の施策を何十年も並走させてきた結果なのでしょう。東川町が移住者を惹きつけているのは人そのものだけではなく、人が移り住んで何かを始めたくなる「ソフト・ハードの組み合わせ」なのではないでしょうか。
社会学者マーク・グラノヴェッターの「弱い紐帯の強さ」という視点を援用すると、観光客やカメラを持った訪問者は、地域外の評価軸や情報を運び込む「弱い紐帯に近い存在」として理解できます。
家族や親友といった強固なネットワークの中では、持っている情報がぐるぐると循環するだけで同質化しやすいのに対し、たまにしか会わない知人や、旅先で偶然言葉を交わした人といった「弱いつながり」こそが、外部から全く新しい有益な情報をもたらしてくれるというものです。彼らは地域に常住しているわけではありませんが、内部だけでは循環しにくい新しい評価軸や見せ方、外部の情報を持ち込む可能性があるからです。その情報を不純物として遮断するのではなく、地域内部に還流させる回路をどう維持していくかが問われているのだと思います。
「免疫反応」を和らげる時間と翻訳者の存在
もちろん、異質な価値観を持った人間が地域に急激に入り込んでくれば、そこには必ず何らかの深刻な摩擦が生じます。東川町が移住者をうまく迎え入れられている背景には、一気に人を呼び込むのではなく、「平均すると年間50人の微増」という緩やかなペースを何十年もかけて維持してきた点も見逃せません。もし数年で何千人ものよそ者が押し寄せていたら、「私たちの町が乗っ取られる」という強烈な防衛反応(免疫反応)が起き、排他的な壁が築かれていたでしょう。時間をかけて少しずつ変化を受け入れる余白があったからこそ、地域は壊れずに済んだのだと思います。

美しい東川町の田園風景・東京カメラ部撮影
それでも、「挨拶の仕方がなっていない」とか「神聖な場所でカメラを構えるとは何事だ」といった小さな摩擦は日常的に起こり得ます。ここで、前回触れたサードプレイスとしての撮影スポットと、そこに集う人々の存在が重要になってくるように思います。
地域のルールや複雑な人間関係を肌感覚で理解しつつ、同時に「良い写真を撮りたい」というよそ者の熱量や文脈も共有できる地元のカメラ愛好家たち。彼らが現場で「あいつら悪気があるわけじゃないんだよ、ただあの景色に感動してるだけでね」「ここではこういう風に振る舞った方がトラブルにならないよ」と、内と外の間に入って言葉を翻訳していく。行政が主導して立派なマニュアルを作るよりも、こうした生身の「翻訳者」たちが現場の緩衝材として機能することの方が、結果的に致命的な衝突を防ぎ、よそ者を緩やかに地域へ接続していくための現実的な解になるのではないでしょうか。
少なくとも東川町のように、外部との接点を制度と文化の両方で受け止める地域では、同質的な結束だけでは得にくい情報や視点が流入し、新しい結びつきが試される余地が生まれやすいのではないでしょうか。
【今週のミニ処方箋】
もし街中や駅前で観光客らしき人を見かけたら、挨拶ついでに「お昼、何を食べましたか?」と尋ねてみるのも面白いかもしれません。彼らが意気揚々と答えるメニューは、地元の人間からすれば「あんなの観光客向けだ」と敬遠しているものかもしれません。しかし、その「外から見たときに何が一番魅力的に映るのか」という市場の評価こそが、地域をアップデートするための最も純粋なヒントだったりするのです。彼らの選択を頭ごなしに否定せず、「なるほど、よそからはそう見えるのか」と面白がれるかどうか。そんな小さな視点の切り替えから、地域における新結合は静かに始まっていくような気がしています。
【次回予告】
第9回は「『フォトジェニック』と『インスタ映え』の決定的違い ――共感される写真の構造分析」。なぜ、きれいなだけの写真はスルーされるのか? SNSで「共感」を生むための必須条件とは。
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