第9回:「フォトジェニック」と「インスタ映え」の決定的違い ――共感される写真の構造分析
【現在地:幸せの循環モデル】
今回から第3部【共有】に入ります。 第1部で発見し、第2部で誇りを持った地域の資産を、いかにして情報の波に乗せて世界へ届けるか。そのための「情報デザイン」のフェーズです。
【発見】→【誇り】→ 【共有】 →【経済】→【還元】 ↻
【前回の振り返り】
第2部の最後(第8回)では、地域内部の同質性を打破し、イノベーションを起こすためには「よそ者」の視点が不可欠であることを、シュンペーターの理論と東川町の事例を交えて考えました。 今回は、その「よそ者」たちが思わず発信したくなる写真の構造、つまり「共感」の正体について、少し踏み込んで分解します。
※本連載は無料ですが、第二回からはメールでの登録が必要となります。また、メール登録をいただいた方には東京カメラ部から地方創生に関連するメールが送信されることがあります。
「きれいな写真」なのに、なぜ反応が控えめなのか
プロのカメラマンに依頼して制作した、息を呑むほど美しいポスター。それなのに、SNSで発信すると今ひとつ反応が広がらない。地域の魅力を伝えようと広報担当の皆さんが情熱を込めて制作された写真は、構図も完璧で色味も調整され、本当に素晴らしい仕上がりです。ただ、それを投稿しても「いいね」の数が思ったように伸びず、実際の来訪に結びついている実感も湧きにくい。そんな、もどかしい思いを抱えたことはないでしょうか。
ここにはSNS運用におけるちょっとした、けれど大切なボタンの掛け違いがあります。InstagramやXを使っている人々は、美術館のようにアートを見ようと思って鑑賞をしているだけではありません。むしろ自分を表現し、誰かと繋がり、反応を送り合いながら、コミュニケーションを楽しんでいる。そうは思いませんか?
美術館に飾られる写真は圧倒的な美しさで見る者を黙らせる「作品」としての完結性が求められます。ひるがえってSNSはどうでしょうか。求められているのは、見た瞬間に誰かに伝えたくなる、あるいはつい言葉を添えたくなる「話題」としての写真という側面が大きいのです。ただ美しいだけの写真は「すごいね」で自己完結し、そこで情報の連鎖が止まってしまう。拡散され人を動かす写真には、美しさに加えて、見る側が入り込むための「隙間」があるとよりよいのです。
政治哲学者ハンナ・アーレントは、著書『人間の条件』の中で、人が公的空間に現れるのは「言葉と行為」を通してであると説きました。その議論をそのまま現代のテクノロジーに当てはめることはできませんが、他者の目に触れる空間で自分の感性を提示するという点においては、SNSへの写真投稿もまた、現代的な「現れ」の一形態として読むことができるかもしれません。わたしはこれを、便宜的に「フォトジェニック(被写体力)」と「インスタ映え(共感力)」の違いとして整理しています。
拡散を読み解く3つの要素と「再現性の魔法」
延べ575万人のファンの方々の反応を拝見している中で、拡散される写真には、おおむね3つの要素が含まれていると、私は考えています。
・美しさや驚き
タイムラインを高速でスクロールする指を止めさせるだけの視覚的インパクト。きれい、なんだこれ、という初期衝動を生む力です。これがなければそもそも存在に気づいてもらえません。
・文脈やストーリー
第6回で触れた「意味」と言い換えてもいい。単なる橋の写真ではなく悲恋の伝説がある橋だったり、ただの廃墟がまるでラピュタの世界と呼ばれていたり。画像の背後に物語があることで、写真は単なるデータから誰かに語りたくなるネタへと昇華します。
・参加や再現の余地
SNSの特徴であり、かつ行政の現場で抜け落ちがちな要素です。私にも撮れそう。私ならこう撮る。ここに行けば私も主役になれるという、見る側が主体的に入り込める隙間です。
公式ポスターがSNSで素通りされるのは、質が低いからではなく「参加」しやすさが足りないという側面もあるのです。
ドローン空撮や特殊機材による夜景は確かに美しい。プロの技です。これはこれで重要です。しかし一般の観光客がスマホで再現するのは不可能ですよね。すごいけれど私には関係ない。そう感じた途端、写真は鑑賞するための他人事になり、実際の訪問動機への結びつきが弱くなることがあるのではないでしょうか。
多少ピンボケでもスマホで撮れそうな楽しげな写真の方が、私にもできそうという予感を与えてくれます。テキサス大学オースティン校の心理学者ジュリア・エスカラス教授らの研究でも、情報に自分を投影できる物語的移入が行動意図を高めると実証されています。他人の体験に自分を重ね、訪問のシミュレーションを始める。これを私は再現性の魔法と呼んでいます。
【「いいね」の絶対視という罠】
ここで一つの批判に向き合っておく必要があります。いいねの数や拡散力をそこまで絶対視してよいのかという根本的な疑問です。実際、いいねを稼ぐこと自体が目的化してしまうと地域発信は深刻な罠に陥ります。
TPOを無視した過激な発言や、奇抜なだけの写真や実態と乖離した過剰なレタッチを施せば一時的な数字は跳ねるかもしれません。ですが、それはタイムライン上で一瞬だけ消費される空虚な反応です。私たちが求めているのは最終的にその土地へ足を運ばせる「行動のトリガー」としての好意的な共感だったはずです。この参加という余白が、単なる消費としてのいいねを具体的な行動意欲へ変換する強固な防波堤になります。
事例分析:国営昭和記念公園のアフォーダンス設計
行政に近い組織が主体的に関与の余地を設計し、突破口を開いた事例として、国営昭和記念公園が実施した秋のライトアップ「黄葉・紅葉まつり」があります。
広大な公園を黄金色に染めるイチョウ並木はそれ自体が強烈な美しさであり、日本の秋という強力な文脈を持っています。
ただ、ここには大きなジレンマが潜んでいました。肉眼で見て綺麗だなと満足できるだけの一般的なライトアップ。一見それで十分な気もします。しかし、それではいざ写真に撮ったときに今一つパッとしない。結果としてSNSで共有しようという動機が生まれず、仮に投稿されても誰の心にも響かずに終わってしまう恐れがありました。
かといって、本格的なカメラと三脚を持ち込む一部のハイアマチュアの方々が好むような、輝度さを抑えた暗めの証明にしてしまうとどうなるでしょうか。大多数の来場者が使うスマートフォンでは暗すぎてノイズだらけになり、全く良い写真が撮れません。歩いていても暗くてつまづきそうになります。逆に、スマートフォンの小さなセンサーに合わせてただ全体を明るくフラットに照らしてしまうと、今度はハイアマチュアの方々から見れば、白飛びしやすい、撮りにくい場所になってしまう。あちらを立てればこちらが立たず、見ているだけなら良いけれど写真となると誰も幸せにならない、という厄介な問題です。
そこで東京カメラ部は、ハイアマチュアの作品作りにも耐えうる輝度差やスポットからの照明の向き、三脚不要な環境などを配慮しつつ、一般の人が手持ちのスマホでも綺麗に撮れる、さらには顔に不自然な影が落ちず自撮りもしやすいような、両者を高い次元で両立させるライティング環境の設計をアドバイスしました。
ただ照明を調整したただけだと思われるかもしれません。しかし、これは単に場所を明るくするという物理的な作業にとどまらない、空間の意味を書き換える行為です。光の当て方や照度や色温度を少し工夫するだけで、来場者は無意識のうちに「ここから撮ればいいんだな」「ここに立てば自分の顔が綺麗に映るんだな」と直感し、自然とその場所へ足を踏み入れるようになります。
この現象を読み解くのにぴったりな概念があります。コーネル大学の知覚心理学者ジェームズ・ギブソンが提唱した「アフォーダンス」という言葉です。彼は、環境が動物に対して提供する意味や価値をそう呼びました。森の中にある平らな切り株が、人間に対して「座る」という行為をアフォード(提供)しているのと同じ理屈です。
これを昭和記念公園のイチョウ並木に当てはめてみます。被写体となる人物の顔が綺麗に映るような輝度や色温度の照明を追加し、ホワイトバランスや背景との明暗差をスマートフォンでも処理できる範囲に収める。特定の立ち位置に自然と足が向くような光の誘導を作る。スマホで簡単に綺麗な自撮りができる光の設計は、ただ風景を鑑賞させるだけでなく、ここであなたも一枚撮ってみませんかという行為の可能性を空間そのものに物理的に実装する試みです。
写真を撮りやすくすると静かに景色を楽しみたい人の邪魔になる、という懸念もあるかもしれません。しかし、短時間で満足いく写真が撮れる環境は、一つの場所の長時間占有を防ぎます。三脚を立てて占拠するのではなく、スマホで次々とシャッターを切り、自然と場所を譲り合う。アフォーダンスの設計は空間の秩序をも生み出す力があるのではないでしょうか。
2019年には約5万人が来場し、東京カメラ部の独自集計でハッシュタグ投稿は計2,879件、8,064枚発生しました。景観の力に加え、参加の余地を物理的に設計した結果だと考えています。 何度かの助言を経て、現在では公園のスタッフの皆さまが完全に視点を獲得し見事に自走されています。外部の人間が仕切り続けるのは不健全です。ノウハウが蓄積し、自らの足で歩み始める。これこそが支援の本来のあり方だと思いませんか。
また、公式アカウントは、すべてを自分で語り尽くす必要はありません。一般ユーザーが撮影した素敵な写真を、敬意を持って紹介するキュレーターに徹する。彼らの根底にあるのは、自分の感性で世界を切り取り誰かと共有したいという人間らしい表現への渇望です。そのエネルギーを地域の味方につけられるかどうか。彼らの個人的な欲求と、地域の公的な願いを重ね合わせることができた場所から、新しい循環が始まっていくのだと思います。
【今週のミニ処方箋】
最近自分がSNSで「いいね」を押した写真を3枚ほど、じっくり眺めてみてください。そこにはきっと、プロが撮影した息を呑むような絶景もあれば、誰かの日常のふとした一コマも混ざっているはずです。私たちが惹かれるのは完璧な美しさだけではありません。「美味しそう」「私にも撮れそう」「面白い」といった、つい自分を重ねてしまう隙間にも反応している。あなたがその写真に「いいね」を押した本当の理由を言語化してみてください。そこに潜むParticipation(参加・再現の余地)こそが、あなたの町が次に発信すべきヒントになるはずです。
【次回予告】
第10回は「受け入れ設計と時間のデザイン ――混雑を分散させ、撮影体験の質を上げる」。「いつ来てもいいですよ」は「いつまでも行かない」と同じ。人を動かす限定性とマジックアワーの魔力とは?
すでに登録済みの方は こちら


